為替の変動、世界情勢の不安定化、データ主権への意識の高まり。
クラウドを取り巻く前提は、ここ数年で大きく変わりつつある。海外事業者の活用が進む中で、選択肢の多様性やリスク分散の重要性を意識する場面も、増えてきた。
そうした流れのなかで改めて問われているのが、「国産クラウド」という選択肢を持つことの意味である。
2026年3月、さくらインターネットの「さくらのクラウド」は、デジタル庁が募集した「令和8年度ガバメントクラウド整備のためのクラウドサービス」に国産事業者として初めて採択された。同社が見据えるのは、単に自社サービスを広げることではない。国内外のサービスが適切に競争できる環境を日本国内に確保し、その選択肢を将来にわたって守ることだ。
今回は、さくらインターネット上級執行役員・髙橋隆行氏に、同社の取り組みと、そこから見えてきた「日本が自前のクラウド基盤を持つことの重要性」について話を伺った。
「自前主義」という原点――マンションの一室から続く技術の蓄積
── さくらインターネットの強みを、一言で言うとどこにありますか。
髙橋氏:ひとえに自前主義だと考えています。創業からおよそ30年。もともとはマンションの一室から始まり、サーバーの筐体を買う資金もないなかで、入手した部品を自分たちで組み上げ、データセンターのかたちにしてきました。
その後、会社の成長とともにメーカー製のサーバーやデータセンターを構えるようになりましたが、「自分たちでつくる」というノウハウは失われていません。ソフトウェアはもちろん、ハードウェアもできる限り自前で手がける。この姿勢こそが、当社の最大の強みです。
── 自前で運営することの意義が、明確に表れた場面はありますか。
髙橋氏:2018年の北海道胆振東部地震でブラックアウトが起きた際、弊社のデータセンターは非常用発電機で約60時間にわたり稼働を維持しました。通常は48時間が前提ですが、発電能力に対して使用電力に余力があったため、その分を活用し、一台ずつ停止と整備を繰り返すことで時間を延ばしました。
設備から運用までを自分たちで握り、ファシリティエンジニアも内製で抱えているからこそ可能だった対応です。端から端まで責任を持つという文化が、こうした局面で生きてきます。
自社で構築し、自社の技術者が運用する。責任を他者に委ねないこの「自前主義」が、後の前例なき挑戦を支える土台となっていく。

誰も手を挙げなかった領域へ――ガバメントクラウドという挑戦
国産の選択肢を残すという思いは、ガバメントクラウドへの挑戦に結実する。主に地方自治体のシステム基盤となるこの仕組みにおいて、同社は2023年11月、国産事業者として初めて提供事業者の一社に名を連ねた。
ただし当時の選定は条件付きであり、2025年度末までに305項目に及ぶ技術要件をすべて満たすことが前提だった。同社はその要件を一つずつ満たし、2026年3月、提供事業者として正式に採択された。
── ガバメントクラウドへの挑戦は、どのような状況から始まったのですか。
髙橋氏:募集が始まった当初、世の中の多くは大手が名乗りを上げるだろうと見ていました。しかし、当時は応募する事業者が限られているような状況でした。そうしたなかで当社が手を挙げたことで、本当に実現できるのかという声もありました。これは単なるアピールではなく、相応の覚悟を伴う決断でした。
── 当時の力の差は、相当なものだったと伺いました。
髙橋氏:要件の水準を野球にたとえるなら、相手がプロやメジャーリーグであるのに対し、当社は基盤や体制に大きな差がある、いわば草野球からのスタートでした。その差を一足飛びに埋める必要があったため、まず人材の採用から始めました。当時はおよそ300名から400名規模でしたが、旗を掲げたことで、大手クラウドの出身者を含む多くの技術者が集まってくれました。人が集まったのちは、305項目に及ぶ技術要件をいかに満たすか、その一点に注力しました。
前例はなく、選定される保証もない。
国産事業者として前例のない領域へ、最初の一歩を踏み出す。
それは、国内にクラウドの選択肢を残すために、同社があえて引き受けた挑戦だった。
なぜ日本が自前でクラウドを持つべきか――依存ではなく、選べる競争環境を
ガバメントクラウドへの挑戦を通じて、髙橋氏が強く意識するようになったのは、一社の事業を超えた、国としての構造の問題だった。日本がクラウドという基盤をどこに委ねるのか――話は自然と、国全体の論点へと移っていく。
── 国産事業者として初めて採択されたことの責任を、どう受け止めていますか。
髙橋氏:採択されたことの責任は、非常に重く受け止めています。これまで国産の選択肢がなかったところに、ようやく一つの選択肢が生まれました。ただ、採択はゴールではなく、スタートだと考えています。長く準備を重ね、ようやくスタートラインに立ったところです。選択肢が増えたという事実を、自治体や公共の現場に対して着実に広げていくこと――そこにこそ、採択を受けた事業者としての責任があると捉えています。
── 国産クラウドの価値を、どのように捉えていますか。
髙橋氏:クラウドの本質はソフトウェアであり、本来は誰でもつくれるものです。それにもかかわらず、海外への依存度が高まり続けているのが現状です。為替が変動すれば、利用量が同じでも経済的な条件だけで使えなくなる事業者が出てきます。選択肢が一つしかない状態は、その選択肢を失ったときに何も残らないということでもあります。だからこそ、国内にしっかりとしたサービスと安心を届け、依存ではなく選べる環境を残しておくことが重要だと考えています。
── 国産事業者が一社しかいない現状を、どう見ていますか。
髙橋氏:営業の責任者という立場では、競合がいないことは有利に映るかもしれません。しかし、日本のデジタルの将来を考えると、国産の選択肢が一社しかない状態は健全ではないと考えています。国内の選択肢が二つ、三つと増え、そのうえで当社が選ばれる状態をつくることが本来あるべき姿です。競争は厳しくなりますが、選択肢の多様性を広げる活動も必要だと捉えています。
海外の事業者を使うこと自体を否定しているのではない。
論点は、為替や国際情勢といった自社では制御できない条件によって、選択肢が狭まる状況にどう備えるかにある。
国内に確かな選択肢を持つこと。
それが、日本全体の競争環境を支えることにつながっていく。

パートナーとつくる「価値の輪」――選択肢を社会へ広げる
── 選択肢を実際の現場へ届けるうえで、パートナーの役割をどう位置づけていますか。
髙橋氏:プラットフォームを提供する以上、運用・技術・データを守るのは当然のことです。しかし、数千、数万に及ぶお客さま一社一社の個別の事情は、プラットフォーム側だけでは把握しきれません。そこはパートナーの皆さまと一緒に守っていく必要があります。当社は、お客さまのニーズに応える価値の輪を広げたいと考えており、それを一社で完結させることは現実的ではありません。
当社が用意するのは、いわば機能という土台です。それを実際にお客さまの課題へと活かす役割は、また別にあると考えています。お客さまのニーズは多様で、それぞれに応じたパートナーが必要です。求めているのは代理店のような関係ではなく、機能を補い合う対等な協業です。常にフラットな関係を保ち、ともに競争しながらともに成功するという考え方は、一貫して変えていません。
クラウドは機能として提供されるが、それだけで価値が成立するわけではない。
その機能を現場の課題に合わせて活かし、実際に使える形にしていくプロセスがあって、初めて価値になる。
その役割は、プラットフォーム単体では担いきれない。
だからこそ、プラットフォームとパートナーがそれぞれの役割を担いながら、価値を共に作っていくことが求められる。
検定と教育をオープンに――クラウド人材の裾野を広げる
選択肢を将来にわたって維持するには、それを担う人材が欠かせない。同社は「さくらのクラウド検定」をはじめとする教育の取り組みを、無償かつオープンな形で進めている。
── さくらのクラウド検定を無償・オープンにした狙いを教えてください。
髙橋氏:検定はガバメントクラウドの要件にも含まれていますが、要件を満たすためだけにつくるのでは意味が薄いと考えました。そこで、商用利用や転用を認めるオープンなライセンスで無償公開する形を選びました。オープンソースの意義は、コミュニティが形成され、そこから発展が生まれることにあります。教育コンテンツも、自社サービスも、パートナー制度も、同じく開かれた形で広げていくという思想で一貫しています。
狙いは、若手や既存企業の人材が「自分たちにもできる」と感じられる入口をつくり、クラウドを担える人材の裾野を広げることにある。あるものを使うだけでなく、応用し、自らつくる側に回る人を増やすこと。それが、国産という選択肢を長期的に支える基盤になるという考えだ。
クラウドはつくることがゴールではない。
使い、支え、育てていく人がいてはじめて、その価値は社会に根付いていく。
これからの国産クラウドの役割――AI時代の自立に向けて
自前の技術、国産の選択肢、それを支えるパートナーと人材。これらの積み重ねが向かう先として、髙橋氏は最後に、これから本格化するAIの時代を見据えた。
── これからのAI時代において、国産の事業者が果たすべき役割は何だとお考えですか。
髙橋氏:マクロの視点では、日本のいわゆるトークン自給率(生成AIを支える計算資源を国内でどれだけ確保できるか)を高めていく必要があります。海外企業の投資規模とは桁が大きく異なり、調達面では買い負けている面も否めません。一方で、日本は中立的な立場で信頼も高く、調達が難しい国が多いなかで計算資源を確保できるという利点があります。自給率を高めることは一社では実現できないため、ここでもパートナーとの連携によって補い合っていくことが重要です。
自社の観点では、GPUの価格上昇という現実があります。一台数千万円規模のサーバーは、学生やスタートアップ、中小企業には手が届きにくく、それでは国内のAI市場の裾野が広がりません。そこで、最新世代は大規模な利用者に使っていただき、世代が進んだ機材は仮想化基盤などの用途へと段階的に活用していく方針です。機材を最大限に使い切ることで、より多くの事業者が扱いやすいサービスを提供していきたいと考えています。
AI時代には、限られた計算資源をどこに、どう配分するかという現実的な見極めも欠かせない。その判断を国内で積み重ね、クラウドを「使う」だけでなく、自分たちでつくり、必要なときに選べる状態を社会に残しておくこと。
それが、これからの国産クラウドに求められる役割である。
